袖ケ浦市の神社様、古墳、お祭りのご紹介です。
神社をお詣りしませんか。
★★袖ケ浦市の神社、古墳、祭りのご紹介
●歴史のある袖ケ浦市で、歴史のある神社様、古墳、お祭りを探訪しませんか。
 なお、そでなびは、特定の宗教組織、団体には属しておりません。
袖ケ浦市寺社仏閣古墳紹介[袖ケ浦市の神社]
・蔵波八幡神社(くらなみはちまん)
  袖ケ浦市蔵波
・神明神社(しんめいじんじゃ)
  袖ケ浦市今井
・福王神社(ふくおうじんじゃ)
  袖ケ浦市福王台
・率土神社(そっとじんじゃ)
  袖ケ浦市神納(かんのう)
・坂戸神社(さかとじんじゃ)
  袖ケ浦市坂戸
・飽富神社(あきとみじんじゃ)
  袖ケ浦市飯富(いいとみ)
・八幡宮(はちまんぐう)
  袖ケ浦市下新田(しもにった)
・国勝神社(くにかつじんじゃ)
  袖ケ浦市岩井
・野里神社(のざとじんじゃ)
  袖ケ浦市野里

・袖ケ浦市の神社は、駐車場、お手洗いがないところが多いのでご注意ください。
★袖ケ浦市の神社
[蔵波八幡神社]
蔵波八幡神社
・蔵波川周辺は住宅、お店が多く、1960年代後半の京葉臨海コンビナートの建設前は、海苔の養殖で栄えていました。
・八幡宮の社殿には、明治、大正時代の絵馬が飾られています。
●毎年10月の第1日曜日は出来秋を祝って蔵波八幡神社の祭礼で、 大人神輿、子供御輿、太鼓、お囃子など賑やかに、長浦駅前通りなどを練り歩きます。
蔵波八幡宮のお神輿
・お神輿には菊の御紋がいっぱい付いています。格式の高い神社様です。
・お正月三が日は参拝される方の多い神社様です。
・お正月にはお神輿蔵も御開帳されます。参詣してください。
[蔵波八幡神社(八幡宮)マップ]
蔵波八幡神社マップ
[蔵波八幡神社]
・蔵波会館側の鳥居から参拝してください。
・駐車場はありません。
・八幡神社は、戦国時代の武田氏蔵波城(蔵波砦)の跡地に建っており、、長浦駅前住宅団地造成で、長浦駅南口ロータリー建設で、お城は削られました。
・したがって長浦駅南口ロータリー側は、急な削られた崖になっています。
・奥の院の愛宕神社付近は標高28mです。
・奥の院辺りからは、ダイエー、長浦駅前住宅団地、京葉臨海コンビナート、東京、東京スカイツリーなど眺めのよいところです。
・八幡神社周辺の森は、蔵波小鳥の森として整備されています。ウグイス・メジロ・ヒヨドリなどの鳴き声と夏はセミの声が響いています。
[今井神明神社]
今井神明神社
・神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社で、お伊勢さんと呼ばれることが多い神社です。
・袖ケ浦市の今井地区は、東京湾沿岸の京葉臨海コンビナート建設時埋め立て以前には、奈良輪の砂浜で海苔養殖も盛んな豊饒の海でした
●西暦偶数年10月 第1日曜日に湯立神事が行われます。
・湯立神事は境内に置かれた大きな釜に湯を沸かし、そこへ隈笹をひたして参詣者に振りかけ、疫病退散を祈願します。
[今井神明神社マップ]
神明神社マップ
[今井神明神社]
・今井神明神社周辺の道は古くからの生活道路で、道幅は狭く入り組んでいます。
・観光で訪れる場合などでは、今井水路南側水路沿いの道と県道287号線(袖ヶ浦姉ヶ崎停車場線:旧国道16号線)の間の道路の通行は避けた方が無難です。
・お手洗いはありません。
 駐車場は、今井青年館の駐車などを借りてください。
[福王神社]
福王神社
・天智天皇の皇子の大友皇子(弘文天皇)は壬申の乱で敗れました。
・大友皇子のお子様の福王は壬申の乱後に、上総の奈良輪の海岸に逃れ、おふごの森に住みました。
・数年後に亡くなられ、亡骸は居住地に葬られ、小さな祠が建てられたのが福王神社の始まりです。
・その後に福王神社は現在地に移されたとのことです。
[福王神社マップ]
福王神社マップ
[福王神社]
・福王神社は袖ヶ浦駅の東方の福王台住宅団地にあります。丘陵地の住宅団地の端の高台で、すぐ前は崖地で、眺めの良いところにあります。
・袖ヶ浦駅からは徒歩7分(560m)のところです。
・車でアクセスする場合は、国道16号線側からアクセスした方がスムーズです。
・駐車場は、福王神社周辺です。
[率土神社(そっとじんじゃ)]
卒土神社
・率土(そっと)とは、この広く大きい天の下、広い地の果てまで、すべて王の土地であり、そこにいる人はすべて王の臣だ、という意味です。
●神納神楽ばやしは、神納地区に伝承されている獅子神楽で、毎年10月15日の率土神社祭礼と7月24日の飽富神社の祭礼に境内で舞われます。

[率土古墳(そっとこふん)]
卒土古墳
・率土神社南古墳は、帆立貝式の前方後円墳で、6世紀初頭の築造と推定されています。
・古墳の上からは小櫃川方面の袖ケ浦市の田園地帯、遠く鹿野山の低い山々の眺めがいいところです。
[率土神社マップ]
卒土神社マップ
[率土神社、率土古墳へのアクセス]
・国道16号線の袖ヶ浦駅入口の福王台信号交差点から、入ってください。
・突き当りが率土古墳で、左手90mで率土神社です。
・駐車場は率土神社とその周辺です。
[坂戸神社の森]
坂戸の森
・坂戸神社の森は鬱蒼とした自然林が残っています。
・近くには袖ケ浦市の主要な公共施設の多いところですが、この一角は小鳥の声、セミの声だけが聞こえ静まり返っています。
・坂戸神社の森は、京葉地帯では最も大きい広葉樹林で、スタジイ、モミ、ツガの大木が生い茂っています。
・またこの森には古墳が確認されています。

[坂戸神社(さかとじんじゃ)]
坂戸神社
・古墳の上に建っている神社です。
・坂戸神社の創建年代は不詳ですが、日本武尊東征の時本社に戦捷を祈り親ら奉幣したと伝えられ、旧くより近郷の総鎮守でありました。
・天正19年(1591年)徳川家康により御朱印状を与えられ、神領50石と定められ、明治4年には郷社に列格しました。
[坂戸神社マップ]
坂戸神社マップ
[坂戸神社へのアクセス]
・JR内房線袖ヶ浦駅南西700mの地にありますが、徒歩ですと13分約1kmです。
・車の場合、袖ケ浦市民会館側からアクセスした方が道幅が広くスムーズです。(約1.4km)
[飽富(あきとみ)神社]
飽富神社
・飽富神社(あきとみじんじゃ)は、綏靖(すいぜい)天皇元年(紀元前581年)に皇兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)が創始したと伝えられています。
・祭神は、倉稻魂命(うかのみたまのみこと)など二柱を祀っています。
●筒粥神事(つつがゆしんじ)
・筒粥神事は、飽富神社で、毎年1月14日深夜から15日未明にかけて行われる神事で、葦(よし:あしのこと)の束をお粥の中に入れ、筒の中に入ったお粥の量で、その年の作物の出来具合を占います。
・筒粥神事は、岩井にある国勝神社(くにかつじんじゃ)でも、同じ日に行われています。
●神納(かんのう)神楽ばやしは、神納地区に伝承されている獅子神楽で、7月24日の飽富神社の祭礼に境内で舞われます。
[飽富神社アクセスマップ]
飽富神社アクセスマップ
[飽富神社へのアクセス]
・飽富神社へのアクセスはたちばな通り側からの方が判りやすい道です。
・JR内房線袖ヶ浦駅の南東車で約4km、袖ヶ浦駅からバスの場合は飯富バス停で下車してください。
[下新田八幡宮]
下新田八幡宮
・下新田(しもにった)の八幡宮(はちまんぐう:八幡神社)は鎌倉街道沿いの神社様です。
・八幡神社境内は大きな椎の木で鬱蒼としています。
下新田八幡宮
・下新田の八幡神社の祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で、源頼朝軍の道案内を白鳥が努めたとのことです。また八幡神社の御神体は白馬にまたがる頼朝だといわれています。

「道・鎌倉街道探索日記」さんのホームページを引用しました。
[下新田八幡宮アクセスマップ]
下新田八幡宮アクセスマップ
[下新田八幡神社へのアクセス]
・八幡宮の鳥居は南総昭和線沿いにあります。
・袖ケ浦市の主要な公共施設がある南総昭和線沿いは、バス通りですが、道が細く曲がりくねり、住宅、店舗も多い道路です。
・北側の鎌倉街道側からは、神社の場所が判りにくいかと思いますが、鬱蒼とした大きな椎の木に囲まれています。
[国勝神社(くにかつじんじゃ)]
国勝神社
・国勝神社の鳥居の入口は、南総昭和線沿いにあります。
国勝神社の鳥居
・のぞみ野方面から143号線(南総昭和線)を農村公園ひらおかの里方面へ向かうと直角のカーブがあります。
・直角のカーブを曲がらずにまっすぐ道なりに進むと国勝神社横の鳥居です。
・鳥居の脇に駐車場があります。

国勝神社
・景行天皇40年(西暦110年)日本武尊が東征のとき、この地を訪れて神々に戦勝祈願をしたのが始まりであるといわれています。
●筒粥神事
・筒粥神事は、国勝神社で、毎年1月14日深夜から15日未明にかけて行われる神事で、葦(よし:あしのこと)の束をお粥の中に入れ、筒の中に入ったお粥の量で、その年の作物の出来具合を占います。
・筒粥神事は、飽冨神社(あきとみじんじゃ)でも、同じ日に行われています。
 [国勝神社へのアクセス]
国勝神社マップ
[国勝神社へのアクセス]
・農村公園ひらおかの里の近くです。
・南総昭和線の沿線は、袖ケ浦市の施設が多い道路です。
・曲がりくねって細い南総昭和線も、日本料理ほしのから東京ドイツ村方面は、道路幅も広く走りやすくなっています。
多少曲がった道で、国勝神社入り口は見過ごしがちです。
・南総昭和線はバス通りで、国勝神社は東岩井のバス停の近くです。
・JR内房線袖ヶ浦駅からは7.5kmです。
・JR久留里線横田駅から3.5kmです。
[野里神社(のざとじんじゃ)]
野里神社
・養老元年(717年)毎夜煌光(こうこう:きらきらと光り輝く)と輝く椎の老木があり、そばに祠を立てたのが始まりと言われています。

●社殿の扁額(へんがく)
・社殿は1627年の造営であったが明治23年に焼失、同28年に再建され、この時扁額は内務大臣も務められ、書家の大家でもある副島種臣(そえじまたねおみ)が書き、埜里(のざと)神社と書かれています。
野里神社扁額

●縁結びの欅(けやき)
・地上根で繋がる親子の欅です。
・縁結びの神様です。
・恋人同志、親子でお詣りしてね。きっと幸せになりますよ。
縁結びの欅
左の欅:親欅、右の欅:子の欅
地上で根がつながっています。

●水神宮
野里神社水神宮
・野里神社の境内には、水神宮があり、綺麗な清水が湧いています。
・近くには共同井戸もあり、湧水の多いところです。
[野里神社(埜里神社)アクセスマップ]
野里アクセスマップ
[野里神社へのアクセス]
・東横田から東京ドイツ村方面への道路の県道165号線沿いにあります。
・バス通りですが野里の周辺は道が細く多少曲がりくねっています。
・神社の前には駐車スペースがあります。
・周りは人家、お店も多く明るい神社です。
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